今回の記事はnoteの書き足しです。
自分自身コーチを経験したこともあり、その経験を元に指導への哲学をまとめた文章となっています。
人に何か教える立場の人、職場で後輩ができた人など「どう教えたら"一緒に"前に進めるか」を知れるエッセンスを散りばめました。
きっと参考になるはずです。
今日のテーマは
添削、指導に強い言葉は必要か。
です。
最近、私のよくみているホロライブにも関わる絵師さんの炎上を目にしました。
概要は、ご本人のYouTubeチャンネルにて添削をしてほしい視聴者から募集をかけ、選ばれた絵は動画内で添削をしてもらえる。
視聴者は超有名絵師に絵の添削をしてもらえて、絵師側は動画のネタになる。
両者win-winの企画です。
その動画についての一つのつぶやきが火種となって、話題になっていたんですが今日のテーマからズレるので割愛します。
さて、本題ですが
動画は受け取り手によっては暴言とも思える強い言葉、厳しい言葉が使われていたりします。
もっというと「負の属性を含んだセンシティブな言葉」と言いますか、口に出すのを躊躇するような言葉が使われていることもしばしばあったのをみたことがあります。
ご本人はあくまで添削の一環であり、「このくらい耐えれないと上手くなるのは厳しい」というような意図の発言をしているようです。
私はどうしてもそこが引っかかってしまいました。
物事を上達へ導く指導には強い言葉は必要か、考えたことを書いていきます。
目次
- 添削、指導に強い言葉は必要か。
- 上達にメンタルトレーニングは不可欠
- 指導者はメンタルトレーニングをどう導く?
- 強い言葉は時に必要
- 怠けていると夢は目標に到達できないよ?
- リスペクトを欠いた強い言葉は暴言
- まとめ
- 自分のネットリテラシーを気をつけよう
- リスペクトを持って「促す」指導をしよう
私は絵はズブの素人ですが、バドミントンコーチとして中学生に実際に指導をしたことがあります。
その過程を振り返って、指導というものに密に触れてきたことを思い出して考えていきます。
上達にメンタルトレーニングは不可欠
まず前提として、何を上達するにもメンタルを鍛えることは重要です。
バドミントンなら、キツくても最後の最後の一点を踏ん張れるか。それは間違いなく気持ちの問題だと思います。
試合にどう望むかの考え方もメンタル。ほぼそれで試合が決まるぐらい重要です。
指導者はメンタルトレーニングをどう導く?
その大事なメンタルをどう指導者は強くするように導くのか。
色々な方法があると思います。
自分自身を振り返ると、部内でランキングが明確に出たりすると「悔しい」と思ったり、ミスをしたら走らないといけない縛りによって「ミスしたくない」と緊張感を持って実践に近い練習を日々しておくことで試合の緊張感に負けないメンタルが鍛えられたのかなと思います。
この例に当てはめるのなら「悔しい」「ミスをしたくない緊張感」これを味わう機会を与えて克服に導くことが指導者のやるべきことなのかなと私は思います。
そこで私の顧問が考えたアイデアが部内でランキング戦を頻繁にすることや、ミスをしたらペナルティつける縛りなのだと解釈しています。
強い言葉は時に必要
人は怠けるものだと思います。一流の選手である、メッシですらランニングなどはサボっていたという噂が出るぐらいですから誰だって怠けます。
このまま怠けていると夢は目標に到達できないよ?
と修正するのが指導者に必要なこと。
その1つの"ツール"として、強い言葉、厳しい言葉は一部必要かなと思います。
リスペクトを欠いた強い言葉は「暴言」
私が話したい核となる話題はここです。
強い言葉、厳しい言葉は必要と書きましたが、その言葉にはリスペクト、尊重や尊敬。相手の気持ちに立って考えることが不可欠だと思います。
要するに「なんでも言っていいわけじゃねぇぞ」ということです。
立場は指導者という一見上に立ったような気がしますが、実際は人間同士対等です。
教える科目についての知識量以上の差はなくお互いにリスペクトし合うべき
実際指導者を見ていても、これを分かっていない人が多い。同業のコーチにも注意したこともありました。
練習をサボってる子に対して
「オイ何サボってんの?」とか「サボってるから負けるんじゃないの?」とかはギリギリ大丈夫だと思います。
なぜなら、口調や表情にもよるとは思いますが、自分を見つめるように促す意図があるのはリスペクトがあると思うからです。
(君なら考えればサボるのをやめた方がいいってわかるよね?と信じるリスペクト)
それを超えて
「そんなことしてるからいつまで経っても強くなれねぇんだよカス」とか言い出したら完全に暴言だと思います。
カスっていう暴言の持つ負のエネルギーに意識を向かせてしまって、自分を見つめて考えさせる方向に意識が向かないからです。
このラインがわからない人は指導者に向いていないのではないかなと私は考えます。
むしろ、ただイラッとさせるだけの教育的テロなんじゃないかなと思います。
負のエネルギーを持つ言葉を極力省いて導くことができたらそれに越したことはない、ただし聞かない子には多少のスパイスとしてピリッと効くような言葉を投げてみるというような具合です。
思い返してみれば、学校の先生でも教えるのが上手い人、上達する子が多いクラスとかは子供自身に考えさせたり「促す」のがうまかったなと思います。
逆に下手な先生は、生徒にもリスペクトがないというかいつも鼻で笑ってくるような態度の悪さだったり、そもそもずっとイライラしてそうで授業もおもんないみたいな感じだったような気がします。
教えている生徒を伸ばすためには、
学びたい、上手くなりたいというやる気をどうやって引き出すか
どう教えたら吸収しやすいかを相手の立場になって褒める(とことん生徒目線)
上達したら一緒に喜ぶ指導者側の気持ちを持つこと
これをどうやったら自分と相手に合わせて考えて動けるかだと思います。
まとめ
私が日々教えている子たちに対してどう考えているかを書きました。
私自身整理してみて、
リスペクトを持って「促す」指導をしよう
ともう一度自分の指導法を見直そうと思いました。
何事も相手を思いやる気持ちは大事だなと当たり前ですが改めて強く意識しないとなと思います。
そして、余談ですが…
ある程度の成功したり、指導者など高く見えてしまうような立場になった時に、自分に厳しい言葉に耳を貸さなくなる驕りが出るのだなとも思いました。
年取っただけの指導者や、初心を忘れた自称成功者とかに多い気がしていて、自分自身も帯を締め直して自分が初心者だった頃に思っていた
「もっと優しくわかりやすく寄り添ってくれる指導者がいたらいいのに」というあの頃の自分にまず寄り添ってあげられるように日々努力していきたいです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。また投稿するのでよかったらみてください。